前回まで、岡山県笠岡市大冝に住む
松浦姓の人達、私の先祖について
解明したことを記したのですが、
同時に 広島県の他の地域に住んで
いらっしゃる松浦姓の方々の事も、
わたくし解明致しましたので、
記していきたいと思います。
私が小学生の頃、家族で因島の
村上水軍城に行った時に、
お城に上がる手前に
墓地が見えたのですが、
松浦姓のお墓が目につきました。
子供心ながらに
「へ~、ここにも松浦っていう苗字の人が
いるんだ~」と思ったのを覚えています。
またまた こちらのサイトさんを
参照させて頂くと…
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%9D%BE%E6%B5%A6 , https://name-power.net/fn/%E6%9D%BE%E6%B5%A6.html
因島中庄町という地域に 松浦姓の方が
約470人いらっしゃるようです。
また、広島県には他に 三原や東広島にも
多くいらっしゃるようです。
そして、私は自身の先祖の
① 笠岡市大冝 ② 因島 ③ 三原や東広島
に住む松浦姓の方々 この3つに
『ある共通点』があることに気付きました!
それは3つとも『境』に近いという事です!
境とはいまでいう県境
昔で言うと国境(くにざかい)です
まず、私自身の先祖の地
① 笠岡市大冝 ですが
この地域は今も『広島県と岡山県の境』
当時は『備後国と備中国の境』に近いです。
先の記事にも載せました通り、
この境は 瀬戸内海の覇権を巡る
『西の大内』と『東の細川』の 勢力が
ぶつかるところと述べました。
次に ② 因島 に住んでいらっしゃる
松浦姓の方々ですが…
因島は 広島県沖の瀬戸内海中央部の島で、
何の境?と一見わかりづらいのですが…
ここは実は『広島県と愛媛県の境』
当時は『備後国と伊予国』の境なのです。
伊予国の海域は長年、河野氏 河野水軍が
治めていました。こちらも同様で
『大内氏が河野水軍を牽制する為』に
派遣した 松浦党の御子孫で間違いありません。
そして ③ 三原や東広島に住まわれる
松浦姓の方々… こちらも地理的には
現在広島県の中央部で…これこそ、何の境?
とお思いになられる方が大半かと思いますが…
実は 昔の『安芸国と備後国』の
国境に近いのです。
室町時代 備後国は足利将軍家の三管領・四職
の 四識 (山名・赤松・一色・京極) のうち
山名氏が治めていました。
そもそも、備後に山名氏が置かれたのは、
足利将軍家が
『西国の巨大勢力 大内氏を牽制する』為です。
これに対抗すべく
『大内氏が山名氏を牽制する為』に派遣した
松浦党の御子孫で間違いありません。
以上 ①笠岡市大冝 ②因島 ③三原や東広島
に住む松浦姓の方々はいずれも
『大内氏が敵対勢力を牽制する為に派遣した
海賊 松浦党 』の御子孫の方々である…
これが 私が解明した
『松浦家550年目の真実』です!