425年のときを越えて… 明智珠/ガラシャ所用の短刀

某大学の図書館で 明智珠/ガラシャ (以降 ガラシャに統一)に関する史料を探し閲覧していたところ、『永青文庫展示室開設10周年記念 RKK開局65周年記念細川ガラシャ』に載っていた 現在 熊本の島田美術館所蔵のガラシャ所用の短刀 が目に留まりました。
そのような短刀があること自体、私は知らなかったのですが、この短刀は ガラシャの長男 忠隆を始祖とする細川内膳家に伝来したとの事です。この短刀の銘は 『兼吉』  美濃国関の刀工の作です。ガラシャ所用と伝わる詳細については、特に書かれていませんでした。しかしながら、私の頭の中でこの刀に関するストーリーが蘇ってきたのです。425年のときを越えて…
まず、この刀は、ガラシャが石田三成の軍勢に囲まれ、最期を迎える際に、長男忠隆の妻である千世に託したもので間違いありません。千世とは 何とあの前田利家とまつの娘です。
この刀が伝来した細川内膳家とは、まさにこの千世がガラシャ最期の直前に屋敷を脱出した事を 舅の細川忠興が激怒、妻を庇った夫の忠隆が廃嫡された事により創出された家であるからです。この刀が熊本細川家の宗家ではなく (宗家は同じくガラシャの三男である忠利が継ぎます) 忠隆の細川内膳家に伝わったという事がそれを証明しているのです。そして、この刀が現在遺っているという事は、ガラシャがキリシタンの掟どおり、この刀で自害せず、家臣の小笠原小斎に介錯させた事が証明されるのです。
さらにこの刀は 美濃国で作られた刀 美濃は父光秀の出身地です。戦国時代、姫が懐に持つ短刀は嫁入り道具として身に着けているもの。父光秀から娘のガラシャに贈られた刀で間違いありません。
特にエピソードの書かれていなかった ガラシャ所用の短刀
キリシタンの掟を守りこの刀で自害できなかった ガラシャ
父光秀から贈られた想い入れのある刀が業火で焼けるのは忍びない
長男忠隆の妻であり 利家とまつの娘である 千世に託し
425年のときを越えて遺されてきた 非常にドラマティックな刀なのです。

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