先月 11/8 に起こった442年ぶりの天体ショー 皆既月食・天王星食は記憶に新しいかと思います。その際 ニュースやネットでは『信長も観た(かもしれない)』というフレーズにあふれていたので、当時、その事について書き記された文献はないのかな~と取り急ぎネットの記事で見つけた 徳川家康の家臣である松平家忠という武将が 『家忠日記』に『月しよく、いぬゐの時 かいけん』と 「月食について正確に書き記している! すごい!」という事を書きました。
その後 私 ちょっと気になって「原文をみてみよう」と 某大学の図書館で『史料大成』 という書物の中に編纂されている『家忠日記』の原文をみてみました。
『天正8年6月
14日 同 普請候,
(家忠は城の普請に携わっていた)
従家康さかな給候
(家康 呼び捨て〜に魚を頂いた
リアルな戦国武将の日常)
15日 同 普請候、(今日も城の普請)』
そして~
『月しょく、いぬゐの時かいけん』
(お、書いてある!いぬい戌亥 の時とは 19時から23時…国立天文台の月食の計測とピッタリと一致する!さすが!)
そして じつは次にもう一文ありました
『北ニほしあいあり、子刻ハほしあい南へまわる,』
え?これ、ガチで惑星食の事 書いてんじゃん!
わたし、まったく古文書に精通していないですが、間違いないでしょう ! 子刻は23時から01時…国立天文台の計測では 惑星食の終わりが22時41分 目視で星(土星)が月から出てくるのを確認できるのは その時刻でまさに一致!
松平家忠!月食だけでなく惑星食も正確に把握していたのです! すごすぎ!
ちなみに家忠は家康が秀吉の命で関東移封になった際、あの『のぼうの城』で有名な忍城を預かったり、徳川家臣として重要な任務をこなしています。
ですが、関ヶ原の戦いの前哨戦にて西軍の攻撃から伏見城を守ろうと奮戦し壮絶な最期を迎えました。
家康が260年にも渡る天下泰平の世を築くことが出来た背景には、家忠のような優秀な家臣の支えがあった事を忘れてはならないと強く思いました。